「崎門の学が日本資本主義を作った」(小室直樹「論理の方法」)

だいぶ間があいてしましました。
反省。*1
さてさて先回、漱石の「こころ」の先生のいうところの「明治の精神」というのを、心のままに書き散らして見たいと思います
そもそも「こころ」の中で先生やKは道徳観や倫理観に縛られているという印象があって、どちらかというと消極的な印象を受けがちなのですが、私は彼ら(特にK)から、行動的禁欲という言葉とともに次の本を思い出しました。

論理の方法―社会科学のためのモデル

論理の方法―社会科学のためのモデル

この本は色々な社会科学における論理モデルを紹介しているのですが、そのひとつでに近代国家と日本資本主義を確立した明治維新がなぜ実現したのかというモデルを提示しています。その中での大きなキーワードが行動的禁欲です。
これはマックス・ウェーバーの示した彼の主著である
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

で提起された概念です。
これによって宗教改革が近代資本主義を成立する要素のひとつになったということを示しています。無理を承知でこの論理を示してみると

  1. 近代資本主義は今までの商人資本主義*2と異なり原初資本を蓄積するだけでは成立しない。お金を稼ぐことが良きことであるということで、奨励されるものにならなければならない。
  2. しかし有史においては洋の東西を問わず「金儲け」は下卑た行為として卑下されていたのがほとんどであった。*3
  3. しかし16世紀以降に登場したプロテスタント達はちがった。
  4. なぜなら彼らは予定説というものを採用しており、神は全知全能であるので救われる人間はすでに決められており、どんな善行を積んでも、まして教会に寄付しても救われるとは限らない。
  5. ただ誰が決められた人間かは分からない。その人間であることを示すために、神の栄光を増し続けるために努力し続けなければならない。ではどうするか?教会と喧嘩別れをした信徒の団体なので・・・
  6. 世俗の仕事に没頭することがそれにあたるということになった。さらにこのような仕事を行うことによって得たお金は、神の栄光を増し続けるために得た結果なので、よきものになる。
  7. 従って仕事に没頭して、そのほかの事には禁欲的であることは良いことだという行動的禁欲が広まった。*4

このような1つのことに没頭することによって、(その他の内容に対して)禁欲的に見えるというのが行動的禁欲という概念の特徴との事である。
小室直樹は著作の中で、これと同じモデルで明治維新がなぜ実現されたかというモデルを示している。これによってこれまでありえなかった「脱藩」*5という手段を用いてまでも尊皇攘夷の実現に奔走したというのである。このイデオロギーを植えつけたのが「崎門の学」という山崎闇斎山鹿素行らによって提唱された異端の儒学だと云う。*6
このような没頭こそがKを支配していたものではないのではなかろうか?そしてお嬢さんに対する愛によりそれが実現できないことを悟り、死を選んだのではなかろうか?もちろん思いつきなので検証を始めるとアラが出てくると思うのですが、「明治の精神」を理解するためには1つ面白いのではないだろうか?
さて次は先生の番だ。先生は自分が嫌悪した人間達と自分が同種の人間であることに嫌悪し自死を選んだ。そう「明治の精神」つまり、この狂ったまでの行動的禁欲は死んだ。目指した近代国家の道は帝国主義の道であり、自らがおびえた欧米列強と同じなのだ。
ここで思うのは、なぜこのような「道徳的な」「明治の精神」は死んで、未だにこの国はアジア諸国から批判されているのだろうかと考えた時、その重要な岐路で発せられた孫文の言葉を思い出す。

今後日本が世界文化の前途に対し、西洋覇道の鷹犬となるか、或は東洋王道の干城となるか

孫文の大アジア主義

このタイミングで日本は1945年に舵を切っていった気がする。

王道の狗 5 ミスターマガジンKCDX

王道の狗 5 ミスターマガジンKCDX

その問題提起はこの漫画の主題です。
次回はこれを述べたいと思います。

*1:イグザンプラーとか言っている場合じゃないってことか・・・

*2:シルクロードヴェネツィア商人みたいな人が投機的にお金を稼ぐこと

*3:このへんはヴェニスの商人なんかをみると分かりますよね。

*4:もともとこれ自体もキリスト教から生まれた。代表的モデルが初代ローマ教皇とされるべテロであり中世の修道会運動である。それを世俗化したので宗教改革の産物という説明。

*5:自ら藩を抜けて浪人になること。

*6:山崎門の浅見絅斎の著書「靖献遺訓」が幕末にベストセラーとなり、これらの考えがが維新の志士達に広まったと言う。