「崎門の学が日本資本主義を作った」(小室直樹「論理の方法」)
だいぶ間があいてしましました。
反省。*1
さてさて先回、漱石の「こころ」の先生のいうところの「明治の精神」というのを、心のままに書き散らして見たいと思います
そもそも「こころ」の中で先生やKは道徳観や倫理観に縛られているという印象があって、どちらかというと消極的な印象を受けがちなのですが、私は彼ら(特にK)から、行動的禁欲という言葉とともに次の本を思い出しました。
- 作者: 小室直樹
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2003/04
- メディア: 単行本
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これはマックス・ウェーバーの示した彼の主著である
- 作者: マックスヴェーバー,大塚久雄
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1989/01/17
- メディア: 文庫
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これによって宗教改革が近代資本主義を成立する要素のひとつになったということを示しています。無理を承知でこの論理を示してみると
- 近代資本主義は今までの商人資本主義*2と異なり原初資本を蓄積するだけでは成立しない。お金を稼ぐことが良きことであるということで、奨励されるものにならなければならない。
- しかし有史においては洋の東西を問わず「金儲け」は下卑た行為として卑下されていたのがほとんどであった。*3
- しかし16世紀以降に登場したプロテスタント達はちがった。
- なぜなら彼らは予定説というものを採用しており、神は全知全能であるので救われる人間はすでに決められており、どんな善行を積んでも、まして教会に寄付しても救われるとは限らない。
- ただ誰が決められた人間かは分からない。その人間であることを示すために、神の栄光を増し続けるために努力し続けなければならない。ではどうするか?教会と喧嘩別れをした信徒の団体なので・・・
- 世俗の仕事に没頭することがそれにあたるということになった。さらにこのような仕事を行うことによって得たお金は、神の栄光を増し続けるために得た結果なので、よきものになる。
- 従って仕事に没頭して、そのほかの事には禁欲的であることは良いことだという行動的禁欲が広まった。*4
このような1つのことに没頭することによって、(その他の内容に対して)禁欲的に見えるというのが行動的禁欲という概念の特徴との事である。
小室直樹は著作の中で、これと同じモデルで明治維新がなぜ実現されたかというモデルを示している。これによってこれまでありえなかった「脱藩」*5という手段を用いてまでも尊皇攘夷の実現に奔走したというのである。このイデオロギーを植えつけたのが「崎門の学」という山崎闇斎や山鹿素行らによって提唱された異端の儒学だと云う。*6
このような没頭こそがKを支配していたものではないのではなかろうか?そしてお嬢さんに対する愛によりそれが実現できないことを悟り、死を選んだのではなかろうか?もちろん思いつきなので検証を始めるとアラが出てくると思うのですが、「明治の精神」を理解するためには1つ面白いのではないだろうか?
さて次は先生の番だ。先生は自分が嫌悪した人間達と自分が同種の人間であることに嫌悪し自死を選んだ。そう「明治の精神」つまり、この狂ったまでの行動的禁欲は死んだ。目指した近代国家の道は帝国主義の道であり、自らがおびえた欧米列強と同じなのだ。
ここで思うのは、なぜこのような「道徳的な」「明治の精神」は死んで、未だにこの国はアジア諸国から批判されているのだろうかと考えた時、その重要な岐路で発せられた孫文の言葉を思い出す。
今後日本が世界文化の前途に対し、西洋覇道の鷹犬となるか、或は東洋王道の干城となるか
このタイミングで日本は1945年に舵を切っていった気がする。
- 作者: 安彦良和
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1999/12
- メディア: コミック
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次回はこれを述べたいと思います。