「明治の精神に殉死するつもりだ(以下略)」(夏目漱石「こころ」)

当初よりこのブログにおいでいただいているべにを様と「明治大正昭和初期を紐解く企画やりましょ〜!!」ともりあがり、僭越ながら、まずは僕が露払いとして、特集を始めたいと思います。*1この後、これを契機に共同企画とかやって行きたいものです。*2べにを様よろしく〜!
最初に取り上げるのは

夏目漱石全集〈8〉 (ちくま文庫)

夏目漱石全集〈8〉 (ちくま文庫)

に収録されている「こころ」から。
この作品は、高校時代の国語の教科書で読んだことから興味を持ち*3、もうずっ〜と読んでいます。*4特におもしろおかしい話ではないのですが、どうも気になる。そういう作品だと思います。
今回は内容というよりも、冒頭タイトルの「先生」の言葉に注目してみたいと思います。
この全集の解説*5では

彼(=漱石)自身は自殺しないまでも、心の体験として、長い時期にわたっての「罪」の意識を消却するためという理由をつけて、自分に代わって「先生」に自殺の機会を与えたのが「こころ」だったのである。

であるという。
でも、なぜ死ななければならなかったのか?また明治の精神とは何か?ということを考えた場合、「こころ」ではいまいち説明されていない感がある。*6「先生」と漱石の道徳性・倫理観は分かるし、その「先生」が自身の中にエゴイズムを発見して戦慄するのも分かる。でもそれだけでは「明治の精神」というものは理解できない気がする。それを浮かびたたせることをこの特集のメインテーマとして進めてみたい。出来るかどうかわからないけれど、やってみたいと思う。
次回予告:

論理の方法―社会科学のためのモデル

論理の方法―社会科学のためのモデル

まずは明治維新の原動力をエトスって観点*7から紐解いてみますか。

*1:べにを様>「はじめる、はじめる」と宣言した割には、開始がすっかり遅くなっちゃいました。ごめんなさい。ペコリ。

*2:「事始」にはそうゆう意図もあります。

*3:もう1つのケースは曽野綾子の「太郎物語」ですかね。

*4:高校生の頃はテスト期間中に必ず読みたくなりました。これって現実逃避?

*5:吉田精一氏による

*6:当たり前なのかな?

*7:はいマックス・ウェーバですね。